胸になんか刺さった

胸になんか刺さったことを書きます

夢って、なんだっけ?

生まれて初めて持った夢は「仮面ライダー」だった。母親にねだってライダーベルトとヘルメットを買ってもらった。自転車に塗装を施して京都の田舎町を疾走し、本気で仮面ライダーになれると信じていた。

 

小学校に入学する頃には、定番の「プロ野球選手」に変わっていた。近所に住む男の子たちを集めて野球チームを結成し、4番ピッチャーに満足した。巨人に入ると決めていた。

 

中学生になると、現実が少しづつわかってくる。自らの身体能力と照らし合わせ、自分がプロ野球選手になれないことを悟る。「絶望」という言葉の意味を知った。

 

高校生になると周りは受験一色で「大学名」が夢に置き換わった。結果的に、その後何の役にも立たなかった受験テクニックだけを必死で覚え、がむしゃらに勉強した。

 

大学生になると、夢なんてどうでもよくなってとにかく「今」を楽しんだ。「今」の彼女と結婚する。「今」の友達が永遠の友だと心の底から思っていた。

 

やがて周りが夢を持ち始める。「企業名」という夢だ。「就職ランキング上位」の企業に入りたい。自分だけが入りたい。今まで「永遠」だった友達が「ライバル」へと変わり、一気に個人戦の様相を呈した。孤独? だった。

 

会社に入ると真の意味で「現実」を知った。いい意味でも悪い意味でも10年後の自分、20年後の自分が目の前にいた。未来を直視できない自分がいた。いつからか「30歳までにやめよう」という夢とは言えないピンを未来に落とした。

 

会社を辞めた後は、とにかく自由を求めた。自由にできる私生活、自由にできる仕事を求めた。そんなに甘い世界じゃなかったけど。

 

今年、四十だ。

 

つい昨日、「仮面ライダー」になりたいと思っていた男が、人生の折り返し地点を迎えている。

 

今までそれなりに必死にやってきて、学んだこと。

 

それは「自分が本当にやりたいこと、絶対にやりたくないことが何かがわかった」ということかもしれない。

 

現実と理想を照らし合わせ、手を伸ばし爪の先がわずかに触れないものを夢と呼んでいいのなら、自分にはまだまだ夢があるし、譲れないものだけは譲らないでおこう。

 

そんなことを想った、秋の日。

 

 

Instagram